“リレーショナル・プレー”とは何か?~7つの戦術パターンから新たなパラダイムを読み解く~
こんにちは、ディ アハト編集部です。本ニュースレターをお読みくださりありがとうございます。第87回は、コーチやアナリストの間で話題となっている「リレーショナル・プレー」についての翻訳記事をお届けします。現在のサッカー戦術界では一体何が起こっているのでしょうか?ぜひご一読ください!
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ポジショナルプレーが発展・浸透した現代フットボールの世界で、新たなパラダイムとして話題になっているのが「リレーショナル・プレー(ファンクショナル・プレー)」だ。欧州ではなく「南米」から広がりつつあるこの新しい概念を、ジェイミー・ハミルトン(@stirling_j)氏らの記事から学んでいこう。欧州のコーチやアナリストが熱狂した本記事を、ぜひいち早く皆様にもお届けできれば幸いだ。
※本記事は、2023年3月にジェイミー・ハミルトン氏らによって作成された以下の記事をもとに翻訳・編集したものとなります。
WHAT IS RELATIONISM?
Recognising Patterns in Football’s Alternative Paradigm
A guide to 7 tactical concepts of Relationist/Functional football. With examples past and present from Rio to Napoli.
With contributions from @JuegoPosmoderno
medium.com/@stirlingj1982… WHAT IS RELATIONISM? Recognising Patterns in Football’s Alternative Paradigm medium.com
◇今、戦術の世界で何が起きているのか?
2023年3月、ニューヨークタイムズのロリー・スミスは「リバプール、ナポリ、そしてシステムが抱える問題」という記事を発表した。彼はその記事でブラジル人監督フェルナンド・ディニスの「ポジショナルではないプレースタイル」に言及している。
同年3月14日には、EURO2020で優勝したイタリア代表チームで戦術コーチを務めたアントニオ・ガリアルディがイタリアのウルティモ・ウオモで「ポジショナルゲームは終焉するのか?」という記事を執筆した。
またその約1週間後には、スペインのポッドキャスト「Play Futbol」がフェルナンド・ディニスのチームにおける「ファンクショナルプレー」を分析した。
さらに3月22日、イギリスを本拠地とするデータ分析メディアである「Analytics FC」は次のような疑問を提示した。「ポジショナルプレーは、攻略されてしまったのではないか?」
3月23日、スウェーデン紙「Dagens Nyheter」はマーク・オサリバンのインタビューを掲載。彼はアルゼンチン代表が伝統的に「La Nuestra」と呼ばれるプレーに回帰しており、ポジショナルプレーを使っていなかったと断言した。
3月25日、「The Athletic」や「Tifo」で執筆するジョン・マッキンゼーも、以下の記事を掲載した。
今、戦術的な世界で何が起きているのだろうか?我々はここ数ヶ月「ファンクショナルプレー」「非ポジショナル」「リレーショナリズム」「リレーショナルプレー」などの奇妙なフレーズを目にしてきた。
◇“リレーショナリズム”とは
2022年の11月に私が最初に言及した「リレーショナリズム」とは、フットボールのパラダイムだ。これは、Jozsef 'Hungaro' Bozsik (@Jozsef_Bozsik)が2018年に初めて“Jogo Funcional”と呼んだのを英語に翻訳したものだった。リレーショナリズムはゲームをセオリー化し、トレーニングし、発展させる概念だ。そしてポジショナルプレーは、リレーショナリズムとは違うパラダイムだ。
2023年の1月21日に、私がレネ・マリッチ(@ReneMaric)やゴルカ・メルチョル(@JuegoPosmoderno)と共同で執筆した「The Positionist」という記事では、ポジショナルプレーが抽象的で平坦なスペースを、選手たちを組織する時に使っているスタイル・概念であるのに対し、リレーショナリズムではそうではないということを説明した。
それでは平坦な「スペース」という概念に別れを告げ、選手たちはトップレベルでプレーするために必要な組織を、どのように構築するのだろうか?
リレーショナリズムとは、選手たちが単に近くに立ったり親しい友達になることを意味しているのではない。リレーショナルな選手たちは、これまで他のパラダイムでは知覚されてこなかったようなシグナルをベースに、コミュニケーションしながら連動していく。
例えば踊ったことがない人が、急にタンゴやカポエイラ、ワルツを評価することは困難だ。彼らは身体的な動きに注目するかもしれないが、その複雑性を理解し楽しむことはできない。知らない言語でも、それは同じだ。最初はまったくわからないかもしれないが、我慢していれば少しずつパターンが見えてくる。
この記事では、リレーショナル・プレーにおいて頻繁に使われる7つの戦術的パターンを紹介する。
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toco y me voy
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tabela
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escadinha
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corta luz
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tilting
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defensive diagonal
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the yo-yo
いくつかの単語は初めて言及されるものだが、ファンクショナル・プレーの文脈で既に紹介されている概念もある。この大雑把なリストは完全なものではなく「単なるファーストコンタクト」だ。
◇PART1:タンゴに必要な2人(TOCO Y ME VOYとTHE TABELA)
El Encuentro(The Encounter)by Raquel Forner(1975)
・“Toco y me voy”
このコンセプト無しではリレーショナルプレーは成立しない。概念として、非常にシンプルなものだ。英語ではこれを「パス&ゴー」と呼ぶ。“Toco y me voy”は「プレーし、行く」という意味だ。選手はパスした後、すぐに移動しなければならない。
ポジショナルプレーでは、この移動が発生する回数は少ない。選手は彼らのゾーンで小さな動きをすることを奨励されており、それによってパスコースを作る。このゾーンをベースにした攻撃パターンを得意とするチームは、左右対称で再現可能なパスネットワークを示すことが多い。しかしパス&ゴーは左右対称ではなく、繰り返されるものでもない。
リレーショナル・プレーにおいて、選手は広いスペースを自由に使っている。彼らはどのタイミングでも、前線にダッシュすることが許されている。勇気ある者が、勝つ。フィールドの中央を優雅に暴れ回る、ヤヤ・トゥーレを思い出そう。
原則は多かれ少なかれ、極端なものになる可能性がある。おそらく実際は、特定のプレーヤーだけがそれを実行することを奨励されているか、フィールドの特定の領域で実行することを奨励されていることが多いだろう。しかし最も強力な場合、チームの全体的な攻撃スタイルがパス&ゴーで絶えず状況を変え、大胆に鋭い動きを連続するという考えに基づいている可能性もある。
動画1.1(via Gorka Melchor)
1960年代の西ドイツは、積極的で集団的な“toco y me voy”を中心に構築されていた。1966年のW杯、グループステージのゲームで西ドイツの選手たちは恐れることなく迅速に前線に駆け上がっている。
この絶え間ないダイナミズムは、全体的なゾーンのチーム構造を犠牲にすることで、ローカライズされた「創発的な構造」を支持している。
動画1.2
動画1.2は、アルゼンチン代表でも活躍したリケルメのプレーだ。彼は味方にパスすると、そのまま迷うことなく適切なタイミングでスペースに走っている。リレーショナル・プレーは、移動と変化である。それはある姿というよりも、「プロセス」だ。
動画1.3
ジーコがプレーしていた頃(1980年代前半)のフラメンゴも、このスタイルを好んでいた。ピッチのゾーンを問わず、パスした選手はスペースに走っていく。
フラメンゴのようなチームは、自発的で集団的なプレーを特徴にしていた。しかし、チェスのように静的な現代のフットボールはこれを失っている。フリージャズのようなリレーショナル・プレーは、決められた曲を演奏するクラシカルなポジショナルプレーとは違うのだ。
動画1.4
ブラジルのリレーショナル・プレーと似ているのが、アルゼンチン伝統のスタイルである“La Nuestra”(動画1.4)だ。選手たちがハーモニーを奏で、ここではパブロ・アイマールがゴールを決めている。
動画1.5
“La Nuestra”という伝統は、カタールワールドカップ決勝のアルゼンチン代表にも受け継がれていた(動画1.5)。
動画1.6
リーベルプレートを率いる元アルゼンチン代表CB、デミチェリスのチームはこの伝統を色濃く受け継いでいる(動画1.6)。彼らは激しく、相手をアンバランスな状態に陥らせるパス&ゴーを武器にするチームだ。
動画1.7
キックオフであっても、リレーショナル・プレーを得意とするリーベルプレートは“toco y me voy”を狙う(動画1.7)。
ボールを受けるためにスペースに移動するプレーヤーと、ボールを受けるためにゾーンで待機するというポジショナルなグアルディオラの考えの違いを、理解することは非常に重要だ。ポジショナルプレーでもポジションの流動は行われるが、あくまでゾーン内のプレーヤーにボールが移動することに重点が置かれており、その逆ではない。
・“Tabelas”
“toco y me voy”がリレーショナル・プレーの基礎的な原則だとすれば、双子の兄弟となるべき「サポート」が“tabela”だ。このペアは、必ず一緒にいなければならない。パートナーがいなければダンスは成立しない。それがリレーショナル・プレーであり、タンゴだ。
リレーショナル・プレーにおいて、“tabela”はどこにでも存在する。パス&ゴーをしたい選手は、当然だが「使える味方」を必要としている。2人の選手は、それぞれ“tabela”をするという意思を共有し、一緒に“tabela”を構築する。家族が夕食のときに一緒に座っているように、リレーショナル・プレーのチームメイトはテーブルに集まる。
“tabela”は英語では「ワンツー」と呼ばれることが多い。なぜ、我々はいつも数字に頼ろうとするのだろう?フォーメーションを数字を並べて表現するように、人間のコミュニケーションという複雑なシステムが冷酷な数字に変わってしまう。
もちろん、“tabela”はポジショナルプレーでも欠かせない要素だ。しかしリレーショナル・プレーでは、これはシステム化された利点だと考えられている。「3人目の動き」がポジショナルプレーで体系化された概念であるように、リレーショナリズムでも状況に合わせて現れるのだ。
この“tabela”というワードは、主にブラジルで使われている。アルゼンチンでは、この動きは“tirar paredes”と呼ばれている。意味は、「壁を壊す」というものだ。
動画1.8
1960~70年代のドイツ代表は、パス&ゴーとサポートの動きを融合させたチームだった。動画1.8で、ストライカーのミュラーはベッケンバウアーに近づくことで“tabela”を提示した。リレーショナル・プレーという概念において、9番の選手は最もこの“tabela”に長けている必要がある。
動画1.9
動画1.9において、アルゼンチン人のストライカーであるフィゲロアはリケルメのパス&ゴーという狙いを察知し、サポートしている(マヌエル・ペジェグリーニ監督が率いる、ビジャレアル時代のプレーだ)。
フィゲロアは相手DFを背負いながらパスコースを作り、リケルメと連携した。ここで言及すべきは、「“tabela”はワンタッチである必要はない」ということだろう。あくまでタイミングと、相互理解が重要なのだ。
動画1.10
動画1.10において、チームメイトがネイマールのパス&ゴーをサポートしようとしている。しかし、この場面は失敗してしまっている。彼はダイレクトパスを狙ったが、フィゲロアのように時間を作るべきだった。
動画1.11
ソクラテスとジーコがイタリアの守備を破った連携は、象徴的な場面だ(動画1.11)。ジーコはサポートを待たなければならないことを知っており、密集地を突破しながら冷静にアシストパスを供給した。
動画1.12
現代フットボールにおいて、最もリレーショナル・プレーに適したストライカーの1人がベンゼマだろう。彼がチームメイトに寄っていくことで彼らのフリーランをサポートするプレーは、レアル・マドリードの攻撃を支えている(動画1.12)。ベンゼマはサイドや後方に移動しながらチームメイトをサポートすることを厭わず、どのエリアでも“tabela”を提供する。
ポジショナルプレーを得意とするチームがゾーンとシステムを重視するのとは違い、カルロ・アンチェロッティのレアル・マドリードは即興的なリレーショナル・プレーを得意としている。
動画1.13
今シーズン、ルチアーノ・スパレッティ率いるナポリはクヴァラツヘリアを自由自在に動かしながら、彼がチームメイトと連携することで状況を打開するようなプレーを武器にしている。
動画1.13でクヴァラツヘリアは、左から中央に移動することでジェリンスキをサポートしボールを受けている。ポジショナルプレーのチームでは、8番となるMFは中盤ラインの背後でハーフスペースを占有することが多い。しかし、このナポリの連動では中盤の選手がボールに近いゾーンに密集している。
動画1.14
2013年、ノーウィッチ戦でジャック・ウィルシャーが決めたゴールはアーセン・ヴェンゲルのチームがどのようにリレーショナルプレーに適応していたかを示している(動画1.14)。ウィルシャーはカソルラとのパス&ゴーを狙っていたが、最後は“tabela”を得意とするセンターフォワードであるジルーからのアシストパスを冷静に決めている。
動画1.15
2022年のカタールW杯において、ブラジルの監督だったチッチはポジショナルプレーを好んでいた。彼はワイドの選手に、サイドバックを足止めするためにポジションに残ることを求めていた。しかしクロアチアとのゲームでは、両WGが中央でプレーすることでリレーショナルプレーに近い状況が作られていた(動画1.15)。
“tabela”のサポートが少ないことに苦しんでいたネイマールだったが、近いポジションでプレーするダンスパートナーをやっと見つけられたのだ。ウィルシャーのプレーと同じように、ここでは連続的なサポートとパスで相手の守備組織を崩壊させている。
“Toco y me voy”と“tabela”こそ、最高のダンスパートナーだ。彼らはそれぞれのために、プレーしている。
そして、ブラジルやアルゼンチンのように、それぞれの国が文化に合わせた概念・言葉として発達させていくべきだろう。こういった戦術的なコンセプトは、監督が発明するものではない。このコネクションとパターンは、選手自身から生まれるのだ。
◇PART2:天国への階段(ESCADINHASとTHE CORTA LUZ)
‘Relativity’ by M.C. Escher(1953)
・“Escadinhas”
私たちの世界は、数字ではなく比喩によって意味を与えられている。そして垂直方向の比喩は、最も意味のあるものだ。私たちは、幸せなときは「気分が上がる」、悲しいときは「気分が下がる」と言うだろう。
たまたま、歴史の奇妙な偶然によって公式化されたフットボールのゲームは、より狭い辺のそれぞれにゴールがある長方形でプレーされることが決定されている。これによって、サッカーはフィールドを「上」または「下」に移動するゲームとなった。ポジショナルプレーをするチームは、ボールを相手から遠ざけながらゴールに向かって登る方法を見つけなければならない。
もちろん、上に移動するための最も一般的なツールは「階段」だ。リレーショナルプレーでは、高さが徐々に高くなる対角線構造の概念は、プレーヤーが協力して対角線を形成し「ある高度から次の高度へのボールの移動を容易にする」ことによって現れる。
これらの対角線は、“escadinhas”として知られている。「階段」または「はしご」を意味するこの言葉が指す概念は、20世紀初頭から中期のブラジルのフォーメーションで出現した対角方向の方向性に由来している。
フラビオ・コスタは1940年代に、ブラジルらしく勝つチームとして誰もが憧れるモデルを発明した。リオデジャネイロ出身の彼は、Dori Kruschner(元ハンガリー代表)からダヌビアン思想と呼ばれた当時「欧州最先端」のスタイルを吸収することになる。
そして、彼は左右対称性に頼らないシステムを構築した。コスタのシステムでは選手は斜めに並び、フィールド上で左右非対称性を作った。これによって、階段によって上がっていくシステムが機能する。
1950年代のブラジル代表チーム(via József Bozsik)
1958年、ペレがプレーしていた頃のブラジル代表は「斜め」のコネクションを重視していた(via József Bozsik)
時間が経つにつれて、この斜め配置の概念は、“escadinhas”が一般的な文化で育ったプレーヤーにとって共通の基準となった。これらの構造は無作為に現れ、消えるものだ。
“escadinhas”を把握する能力によって、以前は壁しかなかった場所にドアを作り、堅固にロックされた防御ブロックを通過する「秘密の通路」が明らかになる。
図2.1
図2.1は、レナト・ガウショが率いるグレミオのプレーだ。彼らは「斜めの位置関係」でプレーしている。この位置関係は、ポジショナルプレーにおける「位置的優位性」に欠けている。しかし、ボールゾーンでの連携で彼らはチャンスを創出してしまう。
動画2.1
動画2.1で、“escadinha”が緊密な守備ブロックを崩壊させることが理解できるはずだ。この例では、グレミオのアタッカーがパス&ゴーとサポートによって「斜めの階段」を上っていく。相手のDFはターンすることを強制されており、その間にマーカーを見失ってしまう。
・“Corta Luz”
上方向への旅を続ける前に、“escadinha”に密接に関連する概念に慣れる必要がある。“corta luz”をポルトガル語から英語に直訳すると、「カットライト」となる。これは「光を奪う」と理解するべきだろう。
この動き自体は、ダミーやフェイントと呼ばれるものに似ている。ディフェンダーをだますための欺瞞的なプレーであり、相手に方向を誤認させる。しかし、守備側の光を奪うという比喩は英語よりも強力なものとして使われている。ディフェンダーを突然の暗闇に陥れるプレーは、“escadinha”よりも厄介なものだ。
動画2.2
ジーコがボール保持者に接近し、サポートすると見せかけて“corta luz”を狙ったプレーだ。彼はストライカーとボール保持者の間で、相手DFを欺いた。これは1982年W杯、ソビエト連邦とのゲームだ(動画2.2)。
動画2.3
動画2.2の1年前、1981年にもジーコが同じようなプレーで相手を欺いている。斜めの位置関係、“escadinha”と組み合わせるようにジーコが「パスコースの中間でボールにあえて触らない」ことで効果的なパスを通した(動画2.3)。
この動画は、偉大なフラメンゴがインターコンチネンタルカップでヨーロッパチャンピオンのリバプールに3-0で勝利した試合だ。ここでは“escadinha”が、ピッチ中央エリアへの前進に使われている。
動画2.4
動画2.4は、より垂直的な階段だ。1992年、テレ・サンターナが率いたサンパウロのプレーを紹介しよう(若き日のカフーも、このチームでプレーしていた)。この場面も“corta luz”によって、2人の選手を見事に欺いた。
動画2.5
1998年のW杯、アルゼンチン代表はイングランド代表とのゲームで“escadinha”の位置関係でプレーしていた(動画2.5)。
オルテガが右サイドから「魔法使い」と呼ばれたベロンにパス。ベロンは“corta luz”で相手DFを欺くことでバティストゥータにボールを届けている。
動画2.6
サー・アレックス・ファーガソンのチームはパワフルでダイレクトなチームだったが、彼らもポジショナルプレーよりもリレーショナル・プレーに近いプレーを得意としていた。
動画2.6の場面では1998年、カンプノウでキーンとヨーク、そしてコールが見事な連携を披露している。斜めの位置関係とサポート、囮になるスルーは、クラシックな “escadinha”、“corta luz”、“tabela”の組み合わせだろう。
動画2.7
2002年の日韓W杯では、ブラジル代表が“escadinha”と“corta luz”を組み合わせている。ここではパスが平行方向だが、リバウドが囮になることでロナウドのシュートを助けた(動画2.7)。
動画2.8
フルミネンセを率いるフェルナンド・ディニスは、リレーショナル・プレーの追い求める理想を追求している。彼の手法は、リレーショナル・プレーを新たな領域に導くと考えられているのだ。
フルミネンセの極端に近い距離感は、“escadinha”の驚くべき回数とパターンの多様性を生んでいる。動画2.8では、ガンソが“corta luz”で相手を欺いている。
動画2.9
ヨーロッパでは成功できなかったガンソが、フルミネンセの中核となっているのも興味深い。動画2.9では、ガンソは派手なフェイントをせずに平然とボールを見送る“corta luz”でチームを助けている。
動画2.10
フルミネンセの選手たちは、狭いスペースで「極端に狭い距離感」を保つことを好む。アリアスはガンソに浮き球を送るが、それもガンソは囮。
また、ガンソとアリアスは両方がサポートに駆け上がっていく。アリアスがボールを持っている時に、ガンソは首を振って斜めのポジションに味方がサポートしていることを認知している。階段の3つのステップが揃ったことで、このプレーが成立したのだ。
動画2.10のプレーは、選手たちが“escadinha”と“corta luz”の概念を完璧に理解し、ピッチ上で表現している好例だ。
動画2.11
動画2.11では、4つのコンセプトが共存している。ガンソは自陣でパス&ゴーをスタートし、アンドレが接近しながらサポート。斜めの位置関係を作ったところでアンドレが囮になり、一気にゴール前までボールを運んだ。“Toco y me voy”、“tabela”、“escadinha”、“corta luz”だ。
“escadinha”は、リレーショナル・プレーにおける「ボール前進のメソッド」だ。これらのエレガントな構造がゲームの混沌から出現するとき、攻撃チームが前進するための機会が提供される。
つまり、ボール進行の手段はプレーヤーの集団的知性に再分配されている。天才的なコーチによって提示された「事前に計画・固定されたスキーム」ではなく、プロセスとして再概念化されているのだ。
チェスがポジショナルプレーのメタファーだとすれば、リレーショナルプレーは「蛇と梯子(インド発祥のボードゲーム)」のようにカオスなゲームに例えられるべきだ。
相手チームがどんなに多くの映像を分析したとしても、戦術分析官は、“escadinha”が次にいつどこに現れるかを予測できない。そして、ディフェンダーが突然変化する階段の途中にいることに気付いたとしても、“corta luz”でライトが消されたときにバランスを整えるチャンスはない。
◇PART3:永遠の回帰(TILTING・THE DEFENSIVE DIAGONAL・THE YO-YO)
‘Geopoliticus Child Watching the Birth of the New Man’ by Salvador Dali(1943)
・“Tilting”
リレーショナルプレーを得意とするチーム(特に南米)が持つ共通の特徴は、プレーヤーがボールの近くに集まることだ。多くが、サイドのスペースに密集する。
ここまで議論されてきた攻撃的な手段は、選手の接近によって最も促進される。プレイヤー間の距離が広すぎると、“toco y me voy”、“tabelas”、“escadinhas”などのプレーが発生しにくいのは自明だろう。
動画3.1
動画3.2
動画3.1と3.2では、左サイドのボール周辺にフルミネンセの選手たちが集まっている。このような状況を“tilting”と呼ぶことができる。ボールゾーンでの密集により、プログレッシブな相互作用を奨励する条件が整う。
“tilting”固有の非対称的な組織構造は、南米のリレーショニズムが均一性や直線的な構造に対して不信感を抱いていることを象徴している。“tilting”のあまり考慮されていない利点の1つは、守備的なトランジションにおけるカウンターアタックのリスクを最小限に抑えながら、ポゼッションを持つチームがボール周辺のエリアをオーバーロードできることだ。
ほとんどのポジショナルなチームは、カウンターの局面で相手が攻撃するために十分なオープンスペースを残してしまうリスクがあるため、ボールゾーンに多くの選手を投入することには慎重だ。通常、彼らは中央の構造(通常は2-3または3-2の配列)を整えることで「ボールの後ろに4-5人の選手を残す」。これは「レストディフェンス」として知られている。
図3.3:チッチの3–2–5構造における、3–2のレストディフェンス(via Mauricio Saldana)
リレーショナルなチームは、構造化されたレストディフェンスにはあまり重点を置かず、より多くの選手がボールゾーンにアクセスできるようにすることを考えている。しかし、カウンターアタックのリスクはどう考えるべきだろうか?ここでサイドでの密集が役立つ。
コーチたちは、サイドラインが「最高のディフェンダー」であるとコメントすることがある。プレーヤーは、サイドラインをドリブル突破できない。そのため、しばしばサイドラインにプレストラップが設定されるのを見かける。サイドラインは、追加のディフェンダーとして機能するのだ。
しかし、サイドラインはレストディフェンスになることも真実だ。ディニスのフルミネンセのようなリレーショナル・プレーのチームは、レストディフェンスの機能を内蔵している。ポゼッションが失われた場合、相手が逃げる角度が少ないため、カウンタープレッシングの選手がボールにアクセスするのが容易になるのだ。
動画3.4
動画3.5
動画3.6
動画3.4、3.5および3.6では、フルミネンセが右に密集しながら攻撃している。ボールが失われるたびに、近くにいる選手のサイドの密集が、サイドラインという堅い境界に助けられながら多数の選手が連続的にアグレッシブにカウンタープレスする機会を提供している。
フルミネンセの選手たちは、すでにボールゾーン内でプレーに関与している。彼らはボールと一緒に「移動している」のだ。そして、この微妙な知覚の側面によって、彼らはトランジションの局面が到来したときにボールとの関与を自然に継続する。
・“Defensive diagonal”
リレーショナルプレーのレスト・ディフェンスにおけるもう一つの重要な要素であり、サイドに密集することの副産物でもあるのが、守備時の対角線だ。単純に言えば、守備時の対角線とは相手チームのボールから遠いウインガーをマークするために、逆サイドのフルバックが斜めに内側に移動すること、または単に中央のスペースを閉じることだ。
図3.7
図3.8(viaMauricio Saldaña)
図3.7と3.8では、攻撃時にサイドに密集したタイミングで逆サイドのサイドバックが斜めに内側に移動。相手のウィンガーをマークしたり、中央のスペースを閉じたりする様子が示されている。
これは日本語では「絞り」とも呼ばれる構造だ。もちろん、このポジションで守備に備えるサイドバックは、タイミングよくプレーを切り替えることで素早く攻撃の脅威に変身する。攻撃側が片方のサイドに密集することで、相手の守備ブロックがそれに応じて移動し、しばしば反対サイドにサイドバックが攻撃するためのスペースを生む。この構造が、おそらく歴史上最も有名なリレーショナル/ファンクショナルなゴールを可能にした。
図3.9(via József Bozsik)
ブラジル代表は左サイドから攻撃しており、逆サイドをサポートしていたカルロス・アルベルトはバランスを崩したイタリアの守備を攻撃する機会を感じ、空いたスペースにオーバーラップした。
動画3.10
動画3.11
動画3.11は、クロップのリバプールだ。南米出身のディアスとファビーニョが左サイドに密集した状態でボールを持ち、チアゴとパスを交換する。右ウイングのサラーは中央に到達し、トレントの右サイドは完全にフリーになっている。ビジャレアルのブロックがバランスを崩した後、ボールは右サイドのトレントに攻撃的に展開される。
リバプールは、1970年のブラジルが使用した構造と同じ方法で得点した。しかしこの、よりドイツ的な解釈では、オープンサイドへの移動が加速されている。
・“The Yo-Yo”
最後の戦術的なコンセプトは、始まりに戻るために必要なものだ。それは、ゴルカ・メルチョルによって命名された“yo-yo”だ。
多くのサッカーの解釈では、ボールゾーンが守備側によって過密になった場合、コーチは選手に「展開しろ!」と指示。攻撃側のプレッシャーを回避するために「サイドを変える」ことを要求する。
しかし動画3.10で見たように、スイッチは単なるスイッチのために行われるべきではない。多くのスイッチは、一貫性のある密集を維持する能力とそれに伴うすべての利点を破壊する。
それでは、密集を維持しながらボールゾーンのプレッシャーを同時に解除するにはどうすればいいのだろうか?その解決策こそが、“yo-yo”だ。
動画3.12
動画3.13
動画3.12と3.13において、フルミネンセは右サイドに密集している。このプレーで彼らは、混雑したボールゾーンから中央のピッチにボールを展開する必要がある。
しかしインサイドのプレイヤーがボールを受け取ったとき、彼らは逆サイド側にパスを展開するために体を開くのではなく、ボールが来た方向に戻って元の密集していたサイドにボールを戻す。
あたかもカポエイラが魅了的に左右に揺れ動く精神を呼び起こすかのように、このダブルバック、または「戻る」ことが“yo-yo”だ。
動画3.14
動画3.14では、カノが右側の密集からボールをディフェンダーのマノエウに戻している。しかし、マノエウはサイドを変えることに興味がない。たとえ彼が興味があったとしても、左バックのカレガーリは中央に絞っている。
そこでマノエウは、フルミネンセの近接した状態が右サイドバックのザビエルとミッドフィルダーのマルティネッリに“toco y me voy”の機会を提供すると考えている。そのため、彼は“yo-yo”を行うことで右サイドにボールを返す。
この前進する動きは、アリアス・ザビエル・マルティネッリの間で“escadinha”と“corta luz”のパターンを作り出す条件を生む。
動画3.15
動画3.15はフルミネンセが左に密集している状態を示している。ボールは密集されたボールゾーンからプレッシャーを解放するためにセンターバックのニノに渡される。
しかし、ニノは右バックのザビエルにボールを展開する代わりに、アンドレにショートパスを出す。アンドレは“yo-yo”でボールを左に戻す。
再び、フルミネンセはescadinha”と“corta luz”を見つけるために接近していく。また右ウィンガーのアリアスも、左側に密集したエリアでチームメイトとプレーするために中央に移動していく。
“tilting”やその副産物である守備時の対角線、そして“yo-yo”は南米のリレーショナルなプレーにおける古典的なモチーフだ。だがヨーロッパの解釈では、中央のオーバーロードや速い垂直的なコンビネーションがより一般的だ。
“tilting”は、リレーショナル・プレーにおける根本的な非対称性を具現化している。それは相手のバランスを崩させることだ。“tilting”は対称的な剛性の停滞する慣性に抵抗し、相手の守備構造に不調和と曖昧さを作り出す。
カポエイラの達人が一つの足で後ろに倒れ横に揺れるとき、相手が片足からもう一方にバランスを移すときに、決定的な一撃を加えることができるのだ。
◇組織の隠喩
‘Son of Man’ by Rene Magritte(1964)
リレーショナルプレーにおいて、選手たちはどのように一貫性を実現するのだろうか?混沌の海の中で浮遊している「秩序の島」はどのようにして作られるのだろうか?
私たちは代替的な組織の隠喩を用いることによって、リレーショナルプレーがこの問題をどのように解決するかを見てきた。リレーショナルプレーに基づいてプレーする選手たちは、共有された理解のもと広範な隠喩や戦術的な概念を用いて、自分たちの知覚を整列させる。
空間的に固執するポジショナルプレーのチームに対し、リレーショナルプレーのチームは状況に応じて構成された隠喩で自分たちを配置することを好む。それらは、ボールや自分たちのチームメイト、そして相手の文脈から形成される。
ポジショナルプレーは安定性を計算してコントロールするために地形を予め設定するが、リレーショナルプレーは混沌や偶発性と共存しているのだ。
私たちは皆、自分自身の知覚を通して世界を認識している。私たちは、最も身近な物やパターンとの対話の中で現実を組織化する。問題は、どのような隠喩を使っているかということなのではないだろうか?
訳:結城康平(@yuukikouhei)
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