イッツ・アバウト・タイム~サッカーにおける「時間」と「音楽」を考察する~

デ・ゼルビのブライトンをはじめ、近年の欧州サッカーで見られる「緩急」を重視するサッカー。オーストラリアでプロの指導者として活躍するリッカルド・マルチオリ氏(@RicMarchioli)がそのアプローチを考察します。サッカーとは「どこ」を問う以上に「いつ」を問うことが重要なスポーツだーーそう語る同氏が見据える、新たな地平とは。
ディ アハト編集部 2024.01.10
誰でも

こんにちは、ディ アハト編集部です。本ニュースレターをお読みくださりありがとうございます。第93回は、サッカーにおけるリズムとテンポ、ビートの重要性を考察した翻訳記事をお届けします。

長年スピードの速さが特徴の一つだったプレミアリーグ。デ・ゼルビのブライトン・ホーヴ・アルビオンやアーセナル正GKに抜擢されたダビド・ラヤが行う「ボールをわざと足元で停止させるプレー」など、速度に拘らず緩急を重視するチーム・選手が近年欧州に現れ始めています。その背後にある考え方とは?ぜひお楽しみください!

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※本記事は、2023年8月にリッカルド・マルチオリ氏によって作成された以下の記事を翻訳・編集したものとなります。

Riccardo Marchioli
@RicMarchioli
My first piece in years, exploring a theory that I have been testing with my teams over the past two seasons.

ricmarchioli.wordpress.com/2023/08/13/tim…
It’s About Time Football is a game of where but perhaps more importantly, wh ricmarchioli.wordpress.com
2023/08/13 19:36
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 相手が困るスペースに選手を配置し、連続的にボールを動かしながら相手のゴールに迫っていくブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンは、プレミアリーグでも驚きを提供している。しかし、彼らのアプローチにおいて独特なのは立ち位置だけではない。相手がトップクラブであってもセンターバックが悠然と足裏でボールを止め、ギリギリまでスピードをダウンさせる。そこからの緩急こそが、彼らのビルドアップにおける特徴だ。

 現在オーストラリアのセミプロサッカークラブの監督を務め、ニューカッスル・ジェッツ時代にはアーサー・パパスのアシスタントコーチとして実力を発揮したオーストラリアの若手指揮官であるリッカルド・マルチオリが、新しいフットボールを考察していく。

「フットボールとは大衆のバレエである」
ドミートリィ・ショスタコーヴィチ(ソ連の作曲家)

◇サッカーと「時間」

 一般的に、サッカーは「空間的な争い」と考えられている。試合を見る際に我々は、チームの形・パターン・生まれるスペース・選手のポジショニングに注目し、陣地を取り合うゲームとして解釈する。

 このサッカーの見方を補強するように、現代サッカーでは「どれだけ効率的にチームがスペースを占め支配することができるか」を測定する統計的な指標も多く用いられている。

 だが、実際にはサッカー選手は連続的な時間と共存しており、選手たちは時間の矢によって動かされている。時間の経過を考慮すると、空間的な構造だけでなく、時間的な構造も取り入れた、よりユニークなサッカーの解釈が見えてくる。

 プレーの流れや連携を本当の意味で理解するためには、幅・奥行き・高さといった三次元的な要素だけではなく、選手のポジションやアクションを時間軸という第四の要素からも理解しなければならない。サッカーというのは「どこ」を問う以上に、おそらく、「いつ」を問うことが重要なスポーツなのだ。

他の選手との関係性を知らなければ何も知ることはできないし、何もすることはできない。サッカーをするには時間と空間を理解しなくてはならない。それを知らなければプレーは難しくなってしまう。サッカーとは何か?時間と空間さ。サッカーにおいて時間を無駄にすることは、金を失うことと同等なんだ。
シャビ・エルナンデス(FCバルセロナ監督)

 現実における時間と同じように、サッカーにおいても時間は状況に応じて歪んだり、イレギュラーな動きをしたりすることがある。ボールを持っている際には、時間はより早く流れるように感じられる。

 スペースが急速に埋まり始めれば、それは危険が迫っている合図だ。アクションは素早く行う必要があり、思考は急かされ、決断を下すのがより難しくなる。一方で、ボールから離れた場所では時間経過はより一定に近くなる。

 ボールに近い位置に選手がいる場合の時間の知覚への影響を抑え、よりチームプレーを調和させるために有効な方法がある。それは、時間を基底構造として用いることだ。このフレームワークはリレーショナルプレーとポジショナルプレーの観点を網羅するために用いることができる。

上:サッカーにおける三次元的要素を示す図、下:時間的要素を加えたもの

上:サッカーにおける三次元的要素を示す図、下:時間的要素を加えたもの

◇テンポ・リズム・ビート

空間を飾れば芸術だ。時間を飾れば音楽になる。
ジャン=ミシェル・バスキア(アメリカの画家)

 時間と音楽、サッカーには強い関連性がある。時間がなければ音楽家が音符を奏でる枠組みがなくなってしまうのと同様に、サッカーにおける連携も、選手とボールの動きだけではなく、それを裏打ちしてくれる「リズム」を必要としている

 トップレベルのサッカーチームの調和の取れたプレーには、音楽の演奏と同じく、才能ある作曲家によって準備された楽曲が必要だ。

 我々は常に現在を生きており、時間は逆戻りすることはない。だが、記憶のおかげで過去を認識することができ、想像力のおかげで未来の予測が可能となる。たとえば音楽を聴く際、我々は直感的に次にどのような音が聞こえるかをある程度予測できるはずだ。それによって音楽は、心地よく一貫性を持つものとなる。

 同じように、サッカーでもチームメイトのアクションを予測することは非常に重要だ。

有限の時間の一部に音楽は自らを注ぎ入れ、その器を言いようもなく上質で高貴なものにする。
トーマス・マン(ドイツの作家)

 音楽には様々なスタイルがあるが、サッカーにはそこまでのバリエーションはないように思える。だが、我々の音楽の楽しみ方に注目すれば、より細かなサッカーのジャンルや楽しみ方が見えてくる。

 音楽のタイミングを基準にすることで、既存のサッカーのスタイルの区別は溶けていく。そして、サッカーをより豊かにしてくれる。

 時間と音楽の関係性は「テンポ」という形で数値的に表すことができ、そしてテンポはBPM(beats per minute:1分当たりのビート数)という形で測られるのが一般的だ。BPMにより、音楽がどれくらいのスピードで演奏されるか、あるいはそれぞれのビートの連続した時間の中での距離が規定される。

 テンポという下地がなければ、我々は音楽をどれくらいのスピードで演奏すればよいのかわからなくなってしまう。テンポはリズムを描くためのキャンバスであり、適切なテンポを維持するにはタイミングの良さが重要だ。これが音楽全体の雰囲気も左右する。テンポは必ずしも一定である必要はなく、一曲の中でコントラストを生み出したり、異なる印象を聞き手に与えるために劇的に変化したりすることもある。

 そして、「ビート」はテンポに合わせる形で等間隔に刻まれる鼓動だ。タン・タン・タン。トラップ・パス・トラップ・パス。

 このような安定したビートは「拍子」としても知られ、これが構造的な未来の予測を可能にする。慣れ親しんだテンポで演奏される曲であれば、我々は次に何が来るかを予測することができるし、それに合わせて踊ったり歌ったりもできる。

 ビートとシンクロする行為により、私たちの神経系が活性化され、拍子との同期に応じて一体感、幸福、および抵抗力を高める化学物質を放出する。また、一度リズムが外れて迷子になっても、再びビートに合わせれば戻ってくることができる。

◇サッカーにおけるビート

 サッカーにおいては、ボールタッチ・パス・ドリブル・シュートといったそれぞれの攻撃時のアクションがビートとなる。音楽の場合と同様に、このビートがあれば一度リズムから外れても再び元に戻ることができる。

 フォーメーションが空間的にチームの戦略や構造を規定するものだとすれば、テンポとビートはチームを時間的に規定するものだ。これにより、いつ・どこにチームの選手がいるべきで、またそこから外れてカオスに陥ってしまった場合は何を基準に元に戻すべきなのかを判別できる。

 演奏中の音楽家は時折、楽譜から外れて即興演奏を披露することがある。だが集団でこれを行った場合に、よいハーモニーを奏でられるかどうかは音楽家の技量次第だ。彼ら同士の関係性や、どれほど演奏している曲を深く理解できているかに左右される。これらが不十分だと、一度規定された枠組みを外れればすぐに不協和音に陥ってしまう。

 豊かなハーモニーを生み出すために必要なのは、下地となるテンポ、ビート、リズムをきちんと押さえること。これさえ押さえておけば、一時的に元のリズムの世界を外れ即興の世界に踏み出しても、また元のリズムに戻ってくることができるのだ。

◇時間によって規定される、選手のポジショニング

 そして、サッカーにおいてもこれは同様だ。選手が連携を保つために必要な全体のビートを把握していなければ、プレーすべきスペースだけがわかっていても、タイミングが外れるとプレーが乱れてしまう。

 楽曲の中には、特定のパートで遅くなったり早くなったり変化するものがある。基本となるテンポをフェーズごとに変更するためには、演奏者全員がそれを理解していることが重要だ。チームのテンポを理解することで、特定のアクションを、チームにとって適切なタイミングでいつ行えばよいのか知ることができる。

 何より重要なのは、チームのテンポの把握が移動のタイミングを明確にし、適切なチームメイト間の距離感を知るのに大きく役立つ点だ。

 たとえば、チームが60BPM(1秒あたり60回のビート/アクション)を基準にプレーしていると仮定しよう。この場合、選手Aがビートに合わせて放ったパスは、テンポを保つためには1秒以内に相手の選手Bへと届かなくてはならない。そのためには選手Bが選手Aにどれくらいの距離まで近づかなくてはならないかも必然的に見えてくる、というわけだ。

 リズムをキープするために必要な距離感に応じて、選手はポジショニングを変える必要がある。つまり、選手のピッチ上の位置取りは時間によって規定されることになる。

 ただし、サッカーは直線的なスポーツではない。バンドでも、常に同じリズムの曲を演奏し続けていれば、すぐに観客は飽きてしまうだろう。サッカーも常に同じリズムでプレーすることは効果的とはいえないし、それが不可能な場合もある。

 テンポがプレーのベースとなる構造だとすれば、リズムはその上に奏でられるパターンで、常に同じ数のビートで構成されている必要はない。

 人間は鼓動と呼吸という基本的に不変のリズムに慣れてはいるが、同時にこれらですらも、状況に応じて早まったりゆっくりになることもある。

 スポーツにおいても、テンポとビートを変わることのない構造だとみなす一方で、異なるリズムが元のテンポをベースに組み立てられるものであるという前提さえあれば、リズムをプレーのフェーズごとにスピードが上がったり下がったりするものだと考えることが可能だ。

 タイトなスペースでのプレーや緊迫した状況では、状況が元に戻ればリズムも元に戻す必要があるという考えをチーム全体で共有したうえで、プレーヤーはリズムをスピードアップする必要があるだろう。

◇ボール前進にリズムを活用するデ・ゼルビのブライトン

ビルドアップにおいて最も重要なのは、リズムをコントロールすることだ。グアルディオラはパスのスピードでこれをコントロールし、プレッシャーがかかっていなければドリブルでボールを持ち上がる。一方でデゼルビはパスのスピードというよりも、パスをどのタイミングで出すかでこれをコントロールしようとする。ボールをいったん止めて相手をおびき出してから、ドリブルではなくパスを放つことでスペースをこじ開ける。
この分野の進化はすでに始まっており、どのようにリズムをコントロールしてどのタイミングでボールを縦に進めるかは、
将来的に非常に重要なポイントになるだろう。
レネ・マリッチ(元リーズ・ユナイテッド、アシスタントコーチ)

 デ・ゼルビ率いるブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンは、リズムの変化をビルドアップにおけるボール前進に活用しているチームの好例だ。彼らは「静止」をプレーの中に組み込むことで相手のリズムも同時に止め、相手が我慢できずに焦ったところで通常のリズムに戻し、相手が生み出したスペースを活用する。

 この方法はすでにコミュニティ・シールドでマンチェスター・シティも採用しており、恐らく今後欧州のトップチームのトレンドになっていくだろう

 トッテナムのアシスタントコーチであるクリス・デイビスも「最近プレミアリーグでもビルドアップで意図的にプレーを止める、という考え方が見られ始めている。ブライトンはこれが非常に上手い。以前はできる限り早くプレーし、ボールを素早く動かすことが基本だったが、彼らは状況次第で完全にボールを止めてしまう。そして、その後プレスを破るために急加速するんだ」と説明している。

 もちろん、サッカーにおける時間的な緩急の活用は、選手個人レベルではずっと昔から見られるプレーだった。だが、これがチーム全体の戦術として採用され始めたのは比較的最近のことだ。

 チームのテンポやその上に築き上げられたリズムは単なる参考指標ではなく、チームのプレーの流れを形作り、選手の距離感を決定し、選手同士の連携を決定づけるものとなってきている。つまり、これはサッカーそのものが変わり始めているということだ。

 ビートに合わせてプレーと動きを設定することで、疲労で乱れ始めるチームの構造とスペースや連携、といった通常の試合の流れに逆らうことすらできる。時間的な枠組みに合わせてチームを組織すれば、試合を通して一貫したパフォーマンスが見せられる可能性は上がる。

◇ファンタジスタの居場所と「ジャズ」サッカー

 これは一見、この方向にサッカーが進めば試合は高度に自動化され、いわゆる「天才」や「ファンタジスタ」と呼ばれる選手たちの居場所がなくなってしまうことを意味しているように思われる。魔法のように、他の誰にも真似できないプレーを見せる彼らこそが伝統的にファンから愛されてきた選手であり、それは音楽の世界でも同様だ。

 だが、彼らこそが単なる「良いパフォーマンス」を「異次元のパフォーマンス」へと昇華させることのできる存在であり、この点に関してサッカーはジャズから多くを学べるだろう。

 ジャズは、時間の基本構造から外れることで作品に感情を吹き込むことができる例だ。ジャズにおいてしばしばテンポの解釈はイレギュラーで、音符も楽譜にとらわれすぎることはなく、即興演奏も行われる。最終的には元のリズムから離れすぎることはないが、演奏者にはビート間の空白を表現する自由が与えられている。

 「音符の長さをどれくらい変化させるか」をジャズではスイングと呼ぶが、スイングを行ってもリズムを自然に感じさせることは可能だ。人体の鼓動も完全に一定というわけではないし、時折スイングをしているようなものだ。才能あるジャズ演奏家はスイングしながら安定感を保つことができ、即興演奏の最中に色々な音符を長く演奏したりしながらも、元のテンポやビート、リズムから外れすぎない術を心得ている。

 全体の構造を失わない自由が重要であり、彼らは演奏する音楽に特別さを与えるために、本当に必要な分だけ基本のテンポから外れているのだ。

時々、我々はある選手ができないプレーに注目しすぎて、その選手がいることでチームメイトができるようになっているプレーを忘れてしまうことがある
マルセロ・ビエルサ(現ウルグアイ代表監督)

 同様に、優れたサッカーチームというのはジャズのようにサッカーをプレーすべきだ。

 リズムを一定に保つためにプレーするメトロノームのような選手が、チームがビートから外れすぎないように気を配る。彼らの仕事はシンプルかつ一定で、チームメイトが自由に自分を表現する土台を作り上げることだ。彼らのプレーはタイミングが良くなければならない。

 そして、ビートの合間を縫ってリズムを離れ、即興的なプレーをする選手もいる。この瞬間こそ彼らが瞬間的に魔法をかけるタイミングで、一時的にスイングし、その後再びチームのリズムへと再接続する。

 監督・コーチの仕事は、それぞれの選手がどのような形で、チームが奏でる音楽に貢献しているのかを見極めることだ。

サッカーでは、常に相手がいることを忘れてはならない。もしサッカーがオーケストラだというのであれば、同時に自分のチームの目の前でプレーしている別の楽団がいるのだ。
フアンマ・リージョ(現マンチェスター・シティ、アシスタントコーチ)

◇音楽とサッカー

 ここまで読んできて、サッカーを音楽や芸術に例えて哲学的に語るのは結構だが、本当にそれはチームを勝利に導くのか?と疑問に思う方もいるかもしれない。

 結局のところ、サッカーは得点をより多く決めたチームが勝利するスポーツで、音楽性の高いサッカーをプレーすることは明確な勝利に対するアドバンテージとなるのだろうか?分析においても「目で見て、手で触れる結果」の方が好ましい、と考えられるかもしれない。

 また、音楽とサッカーにおいては一つ明確な違いがある。それは音楽は(少なくとも直接的・同時進行的には)誰かと争う競争ではない、という点だ。基本的に音楽は、観衆の喜びのためにプレーする。一方でサッカーは美しさも重要ではあるが、最終的な目標は対戦相手に打ち勝つことだ。

 この動画のプレーは、チームが安定して相手陣内に侵入し、得点を挙げるためにビートを活用している例だ。しかし、テンポをベースにしたサッカーが勝利の魔法の方程式である、という訳ではない。上手くハーモニーが作れず、まったく勝利に貢献できない場合もある。

 テンポをベースにしたサッカーは瞬間的なシンクロを可能にし、単に自動化されたパターンよりも精度の高い連携を可能にするし、スペースの識別や似たような状況への理解・認識が容易になる。だがそれ自体は、サッカーの主流なアプローチというよりも、連携を高めるツールの一つというだけだ。

 とはいえ、このことを考慮に入れれば、過度にこれを論争の的とする必要もないだろう。リズムをベースにしたサッカー戦術は、奇跡を起こしたり試合を勝利に導いたりする天才的なアプローチというより、単に選手たちの思考や無意識に働きかけ、サッカーが時間に伴ってどのように変化するかを意識させる。だからこそ効果がある、というだけにすぎないからだ。

 調和した音楽を聴くのは、心地いいものだ。鬼才がそこから離れて素晴らしい演奏を見せることもあるが、基本的に我々は、一般的には一定のリズムで奏でられ次の予測が可能な音楽を聴くことを楽しむ。次にいつ音が鳴るのかわからないようなリズムで奏でられる曲は不快に感じるだろう。

 同様に、選手全体の間で一定のリズムが共有されているチームのサッカーを見るのは心地いいはずだ。連携は容易になり、プレーはスムーズに流れていく。逆にいえば、テンポの共有がなされていないチームのサッカーはうまくつながらず、プレーはバラバラで混乱しているように感じられてしまう。

 テンポを把握しているからこそ、音楽家が楽譜に刻まれた音符をいつ演奏すればいいのかがわかるように、サッカーでもチームのテンポがわかれば、次にどこに動き何をすればよいのかを理解できる。

◇時間軸をベースに見るサッカーが切り開く、新たな地平

 忘れてはいけないのは、サッカーにおいては空間的な位置も同様に重要である点だ。「いつ」「どこ」が揃った場合、サッカーは最もよく機能する

 両方を考慮に入れることで初めて、我々はサッカーの新たなジャンルやスタイルの開拓、分離と融合が可能になる。位置ではなく時間を基準にサッカーを捉えることで、今まで我々が想像もしていなかった新たなサッカーのスタイルが生まれる可能性がある。

 「ロックなサッカー」ではなく落ち着いたサッカーをプレーしよう、という戦術的な修正が行われるためにはチームのテンポの変更がカギとなるだろうし、もしかするとサッカーの試合は観衆がチームのテンポを決めるのに一役買う、双方向的な競技となるかもしれない

 スタジアムの観衆がチームのリズムを刻むことで、実際にチームのパフォーマンスに影響を与える可能性が浮き上がるのだ。応援するチームに最適なテンポをきちんと把握し、それに合ったチャントを歌うことが12人目の選手として提供できる最高のホームアドバンテージ、ということになるのかもしれない。

 また、この考え方はプレスや守備にも影響を与えることは間違いない。もしかすると、将来のサッカー分析は相手のリズムやテンポを数値化し、プレスや守備戦術の方針を決めることになるかもしれない。自チームがボールを持っていないときに目指すのは、いかに相手のテンポを乱し、相手が理想とするリズム通りに試合を進めないか、ということになるだろう。

 スペースや二次元的な配置に基づくサッカーの見方とは対照的に、安定してサッカーの時間的な要素を計測できる指標は少ないが、Wyscoutは「マッチテンポ」という項目を導入している。これは、チームがボール保持に1分当たり何本のパスを通すかを計測しているものだ。数字が大きいほど、テンポが速くなる。

 これは今後に向け、一つのスタート地点となる指標だ。しかし、リズムを構築する他の要素を考慮した完璧な指標とはいえず、発展の余地はある。たとえば「ボールが一人の選手から次の選手に移動するまでにかかった時間」や、BPMをベースにチームがどれくらいリズムに基づいてプレーできているかを測る「各チームの攻撃アクションが一定のビートからどの程度乖離しているか」といった指標について、一考の価値がありそうだ。

◇終わりに

 既に我々はサッカーとスペースの関係性を深く理解するに至っているが、結局のところ、それらのスペースが生まれるかどうかは時間次第だ。サッカーは途切れることなくプレーされ、特定のプレーが「どこで」行われるかだけでなく「いつ」行われるか。時間は空間と同じく重要だ。

 空間的にはサッカーは幅・奥行き・高さの3つの軸で把握される。これらに応じてフォーメーション・スペース・ゾーンが組織され、これらの用語はサッカーを語る上で欠かせない用語となっている。

 だが、時間的にサッカーを語ろうとした時に基準となるものが何なのか、まだ我々にはよくわかっていない。チームのテンポは神経学・生物学/進化学的観点を含む、新たなサッカーにおける一貫性を定義するツールとなることだろう。これを用いてより音楽的にサッカーをプレーすることが可能になるはずだし、より周囲で起きていることを深く把握できるはずだ。

 秘密の勝利の鍵にはならないかもしれないが、我々が愛するサッカーというスポーツをより深く学び、より多彩な分析を行い、コーチングを行うための扉を開いていくれるに違いない。

 チームのテンポというのは、実用的な役割があり、厳格に時間通りのプレーを行うことができるチームは容赦なくボールを前進させられるだろう。チームメイトとの距離感とタイミングを規定し、一度形が乱れたチームをどう再組成するかの手掛かりとなるはずだ。

音楽では、曲を終えることが演奏の目的ではない。もしそうであれば、最高の指揮者は最も速く曲を演奏できる者ということになり、最高の作曲家は曲の最終章ばかりを作る者ということになってしまうだろう。人々は最後の一つの音を聞くために、コンサートに足を運ぶわけではない。
人生は時として、何か重大なミッションを孕んだ旅路、巡礼であるかのように語られる。
だが、このような例えは誤りだ。実際には人生は音楽的なもので、曲がかかっている間、歌い踊り続けるべきであるようなものなのだ。
アラン・ワッツ(イギリスの哲学家)

文:リッカルド・マルチオリ(@RicMarchioli

訳:山中拓磨(@gern3137) 、結城浩平(@yuukikouhei) 

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